yoshikame’s blog

世界のサーフポイントを復活させよう

アラヤ識について②

前回のエントリーではアラヤ識の良い点というか、自己啓発的な側面を書いた。今回は負の側面を書いてみたい。

その前にアラヤ識の語源を説明したい。アラヤとは阿頼耶と書き、インドのサンスクリット語である。仏教が生まれたとされているインドのチベットの山にヒマラヤという山があるけれど、ヒマラヤとはサンスクリット語で雪の蔵という意味があるらしい。アラヤとは蔵識と訳され、意識の蔵という意味がある。

前回のエントリーではアラヤ識を「畑」と表現した。繰り返しになるけど、このアラヤ識という意識の畑に私たちは意識としての種子を蒔いている。その種子が実となって、現在の自分の身の回りのものだったり人間関係だったりとして現れていると説明した。仏教の世界ではこれを「縁起」と言う。

ただ、このアラヤ識というのは残念な事に良い意識だけ縁起させてくれるわけではない。悪い意識もまた実として私たちに与えてくるのだ。そしてこれが最も煩わしい。私達の意識というのは大きく分けて2つある。一つ目は顕在意識というもので、何かを考えている時、当たり前だが自分で考えている事を説明する事が出来る。二つ目が潜在意識というもので、恐らく普通の人には自分の潜在意識を説明する事は出来ない。これらの意識を種子として私達はなんでもかんでもアラヤ識の中に入れてしまい、良くも悪くもその実を受け取っているという訳だ。私達は残念ながらネガティブな意識のしんどいとか、辞めたい等、マイナスの感情を持ちやすい生き物である。これがアラヤ識の中に入ってしまえば、その因果!という様な事なのだ。

じゃあどうすれば良いかと言うと、前回のエントリーに戻っていただき、自分の意識をコントロールして良い方向に向かわせれば良いということになる。まぁ、自分もまだまだ修行が足りないけど、、、まぁテーゲーテーゲーにアラヤ!